おしゃべり部屋

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2008年10月 3日 (金)

寺院建築と神社建築

 さて、前回、神社のニュースを紹介させていただき、意外にも大好評だったので、今日もそれに関連した内容にしたいと思います。

 神社って、もともと建物がなかったっていうのはご存知でしょうか。

 もともとは、磐座iwakura、神様が依代となる場所(石だったり、木だったりするけど)や神聖な土地だったところを生活空間として他と区別したのが、もともとの神社の始まりだったと考えられています。

 つまり、今の神社のように、本殿も拝殿もない。 もちろん、拝む場所はあったでしょうが、そこに特別な宗教施設をつくっていたわけではありません。

 今も、昔のように残っている神社で、たとえば奈良県桜井市の大神神社なんかがあります。

 大神神社では三輪山自体が、神様が降りる場所とされているため、現在も拝殿しかありません。

 今のように「本殿」と「拝殿」という建物がたてられるようになったのは、「仏道」が日本に伝えられてから、その影響をうけてなんです。

 また、この神道という言葉に関しても、「仏道」に対して作られた言葉です。それ以前はとくに体系だてられた宗教として日本人に意識化されていなかったんじゃないでしょうか。

 外来の宗教が導入されて初めて、それと区別する必要が出てきたのでしょうね。

  さて、ならばお寺はもともとどんな建物だったのか?

 お寺の起源はもちろん、古代インドにまでさかのぼります。

 仏陀が死後、自分の遺体を火葬して、その灰はガンジス川に流すようにと遺言したのにもかかわらず、彼の弟子は仏陀の遺骨を分割し、土中にうめ、そこに目印として、土饅頭をつくりました。これがストゥーパ(中国語で卒塔婆、のちに単に“塔”と呼ばれるようになる)と呼ばれるものです。

 その後、仏教徒の人たちがその場所に集まり、修行するようになったので、僧院などの宗教施設が作られるようになりました。

 このストゥーパ、中国に伝わると、土饅頭型の形から、今の私たちがなじみのあるような、楼閣建築に代わっていったのです。 

 つまり、いまの私たちが、知っている京都東寺の五重塔や興福寺の五重塔などの形は中国で完成したわけですね。

 お寺の中心ははじめは、仏陀の骨が納めてある(あるいは納めてあるとされている)塔がメインだったのですが、仏像が作られるようになり、それが安置される施設(金堂、禅宗では仏殿)が、次第に中心になりました。

 今でも地域の小さな寺院には、本堂があっても、塔がないっていうお寺、多いですよね。

 普段意識することのない、神社やお寺には、このような歴史があるのですね。

 今度なにかの御縁で、お寺巡り、神社巡りをする際、ちょっとでもそんなことを思い出しながら過ごしていただければ、霞もちょっとうれしいです~。

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コメント

こんばんは。インド世界に於いて、ヒンズー教徒と仏教徒の決定的違いは、遺骨の在り方についてですね。仏教は創始者宗教なるが故に、教祖の生前のよすがを遺骨に求めました。
ヒンズー教は、自然宗教なのでガンジス河に流すことに違和感を覚えません。
しかし、釈尊は明らかにヒンズー社会の中で生きていた人でした。だから『マハーパリニッパーナスッタンタ(涅槃経)』に於いて、出家者に対して舎利供養を厳格に戒めたのだと思います・・・。

Revさん、こんにちはw コメントありがとうございます。

なるほど。そうだったんですね。このお話をきいて、ますます原始仏教に興味を抱きました。

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